高学歴から圧倒的人気の業界、コンサルティングファーム。
東大生の就職先として、近年コンサルティングファームが圧倒的な人気を集めている。
就職人気ランキングの上位を外資系コンサルが占める状況は、もはや珍しくない。
実際、ONE CAREERが実施した「就活人気企業ランキング【東大・京大編】(26卒本選考期速報)順位一覧」を見ても、人気上位10社中8社がコンサルとなっている。

どうしてこれほどまでにコンサルが人気なのか?
本書によると、彼らがコンサルを選ぶ理由として口を揃えて挙げるのは「成長できるから」であるという。
そしてそれは現代において珍しいことではないと筆者は指摘する。
今の時代にビジネスパーソンが『成長したい』というスタンスを明確にするのは、何か特別な意識の高さを示すものでもない。成長を目指すことには成長への気持ちを前面に示すこと自体が求められている。2020年代の日本において、むしろ成長したいという逆張りの精神の表れでもない。成長を目指すことこそがマジョリティの思想であり、大多数に属するために牧歌的な時代は終わった。
(レジー『東大生はなぜコンサルを目指すのか』p.44)
つまり、「成長」は選択ではなく、前提になっているのだ。
しかし、この「成長」という言葉は本当にポジティブな選択の表れなのだろうか。
むしろ現代の若者たちは、「成長」に囚われているのではないか。
いや、より正確に言えば、「成長しないこと」への恐怖に駆り立てられているのではないか。
本書を読み進めるうちに浮かび上がってくるのは、この問いである。
平成末期、「成長」は揶揄されていた
なぜ現代の若者は「成長」に脅迫的なまでにこだわるのか。その背景には、複合的な社会構造の変化がある。
『自己責任で稼ぐが勝ち』が掲げられた2004年から20年以上の月日が経った。自身のキャリアを考えながら成長のユートピアを探す令和の若いビジネスパーソンは、ゼロ年代前半に猛威を振るった極端な考え方がその後のじわじわと社会にまで浸透していく過程とともに大人になっていった。
(レジー『東大生はなぜコンサルを目指すのか』p.64)
「成長」を目指すことは、かつて当たり前ではなかった。
2000年代後半から2010年代前半にかけて、成長というキーワードは「意識高い系(笑)」として揶揄される対象ですらあった。
2012年には『「意識高い系」という病~ソーシャル時代にはびこるバカヤロー』という、何者かになろうとあがく若者の滑稽さを揶揄する本が出版された。
また、同じく2012年に出版された朝井リョウ『何者』ではまさにそうした若者たちを描いており、大きな共感を生んで直木賞を受賞した。
私自身、2010年代前半は大学生活や就職活動に時間を割いていたが、「成長」への冷笑的な空気をヒシヒシと感じていた。
大手を蹴って成長を求めベンチャーに進んだ友人は、メガバンクや大手マスコミの内定者から「圧倒的成長(笑)」と嘲笑されていた。
私もご多分に漏れずコンサルばかり受けて外資に入社したのだが、日系大手に進んだ同期からは「そんな必死になってどうすんの?」「成長とかブラック企業のワードでしょ、そんなんよりもライフワークバランスだよ」と説かれたものだった。
当時、平成末期には「”成長”なんて曖昧で空虚なものを追いかけるんじゃなくて、地に足ついて現実を生きろよ(笑)」という空気がたしかにあったのだ。
だが、令和では「成長」への評価は逆転した。
「成長」を目指すことこそが、地に足をついた生き方となったのである。
恐怖からくる安定志向が「成長」へ誘う
元号が変わり令和となった現代、”成長”はむしろ現実を生き抜くために避けられないオプションである。
今の若者にとって、自己責任論はもはや疑いようのない常識であり、人生の前提なのだ。
終身雇用は崩壊した、日本はもうオワコン、国に頼るな、自分で稼ぐ力を身につけろ、これからは個の時代だ、老後までに2000万円貯めろ…。
今の20代は物心がつく頃からこんな言葉を浴びながら育ってきた。
そしてこれらの言葉を裏付けるように、SNSでは個人で活躍するインフルエンサーを毎日のように見ている。
さらに、極めつけは2020年からのコロナ禍、2023年からの生成AIブームという社会の激動。
「未来がどうなるかわからないこの国では、自分以外自分を救ってくれない」という意識が内面化されるのは当然である。
もはや「成長」は意識高い系が持つ装飾品などではなく、国も会社も助けてくれないこの世の中をサバイブするための生存戦略なのだ。
ここで、『ドラゴン桜』で知られる三田紀房が原作を務める、就活指南漫画『銀のアンカー』の一場面を紹介したい。
就活中の大学生・田中君は極度の心配性で、就職先に「安定」を何よりも求めていた。
そこへ「就活の神様」であるメンター・白川が「究極の安定とは何か?」を考えさせる宿題を与えた。
難題を与えられ、数日間悩み抜いた先に出した田中君の答えは次のようなものだった。

この漫画の第一巻が出版されたのは2007年である。
当時の若者の象徴である田中君は「大企業に入ることこそが安定であり、そんな企業に入社することがゴール」という思い込みがあったため、何日も悩んでいた。
だが、令和の若者は秒で答えを出すだろう。
今だったら当たり前すぎてこのエピソードはカットされるかもしれない。
しかし、このようなエピソードが読者への”気付き”となるくらい、当時は当たり前ではない考えだったのである。
国も企業も将来が不安定である以上、何もせず一生安泰ということはありえない。
安定を目指すには、自身が成長しなければならない。
要するに、若者の成長志向の背景にある原動力は、恐怖にほかならないのだ。
一方で、この20年はそんなアグレッシブな掛け声とは裏腹に、国としての成長がどんどん停滞していった時代でもある。このアンビバレントな状況が、第一章で述べたような『安定したい、だから成長したい』という一見すると矛盾しているように見えるが、実は理にかなっているともいえる。成長を叫ぶ人たちはどこか滑稽に見えるが、そこにはそうせざるを得ない切実さも同時に潜んでいるのだ。
(レジー『東大生はなぜコンサルを目指すのか』p.64)
かつては若者の自己実現欲求を象徴するキーワードとして扱われていた”成長”。
それは現代では「そうせざるを得ない」という切実さを表す言葉へと変化しつつある。







